#15 by ritsuo / 2013.07.14
イベント報告

市民自治のコスト 6.28勉強会速報

「政権交代したからといって、みんなが認めた『切断』を次の市長が訴えたら、地方自治はなくなります。誰も選挙で公約できない。はっきり言ってこの裁判は、地方自治の破壊です。」 (上原公子元市長)

くにたち住基ネット裁判・勉強会 「番号法時代」の中で、市民自治を取り戻す

2013.6.28 於・東京原宿 ●速報

くにたち住基ネット裁判をともに闘うために、裁判基金へのカンパをお願いします。これは、私たちの住基ネット反対運動が、「番号法時代」の運動へと変身していくための「コスト」だと考えています。詳細は別紙 »「呼びかけ」をご覧ください。

市民自治を取り戻す

「住基ネット差し止め訴訟」が、個人と国家の間での「安心(プライバシー)・安全(セキュリティ)をめぐる憲法上の闘い」だったとするなら、この「いまごろになってまだやってる住基ネット裁判」に対抗する私たちの論理は、憲法の枠組みをどこかで「超えて」しまうのかもしれない。

国立住基ネット裁判では「自治体の自律」が国の「個人番号政策」と鋭く対峙する構図になっている。「国立の切断の3つの原点――自分たちで責任が持てるか、市民にメリットがあるか、DV 問題でやっていた(自治体の)施策が実施できるか――にこだわった方がいい」と、原田さん(やぶれ!住基ネット市民行動)は指摘する。

この構図を地域で支えているのは、憲法や個別法には具体的な規定がない「個人の尊厳」とそれにもとづく「コミュニティの形成・自治」という人間の「自然権」なのだ。この自然権と市民自治が、「法の正義の実現」という明治以来日本政府が採用してきた「国家優先の統治スタイル」と対峙している。

「(差し止め訴訟は)憲法13条違反、自己情報コントロール権侵害であるということで闘って来た。しかしいまは公益、公の秩序を最優先する―訴訟の根拠をなくすという所まで来てしまっている」

と、川上さん(元差し止め訴訟を支援する会)も指摘していた。

くにたち住基ネット裁判のややこしさ

勉強会で改めて痛感したのだが、「くにたち住基ネット裁判」はとてもややこしい。裁判自体も複数ある。

裁判の原告は、国立市の住民(住民訴訟)だったり国立市(損害賠償訴訟)だったりと変化する。被告も「国立市長」(住民訴訟)だったり「前・元市長個人」(損害賠償訴訟)だったりする。その上「再接続費用裁判」では、「補助参加人」として関口さん・上原さんが参加していたりもする(図参照)。

そもそも最初は、司法手続きではなくて「自治」の内部手続きである「住民監査請求」だった。

「自治」の機能不全

この住民監査請求は、住民運動の有力な手段として広く使われてきたわけだが、清水勉弁護士はこう指摘していた。

「住民監査請求は、住民が自治体の行政に参加する重要な制度だが、住民投票とはことなり1 人でもできる制度なので、今回のような濫用もできてしまう。民主主義のあり方について考えなければいけないテーマだが、住民監査制度自体がだめなわけではない。」

同時に、住民監査請求は「監査委員が機能していれば使われない制度。しかし、監査委員はしばしば機能不全を起こしている」とも指摘していた。「くにたち住基ネット裁判」が行なわれているということは、くにたちの自治が「地域自治」の内部で完結できなかったことを意味してもいるのだ。

自治体がなくても動く「行政システム」

関口博前市長は次のように語っていた。

「いままで自治体が、市民と直接接していろんな施策をしてきた。国民ひとりひとりを監視・コントロールすることができるようになる。これからは自治体がなくても、『総背番号制のシステム』によって、国が直接、国民ひとりひとりをコントロールできる。」

上原さんは「地方自治はなくなる」と訴えているが、関口さんは「番号制度」を「自治体がなくてもいいシステム」だと指摘する。

市民自治のコスト

「機能不全」と「なくてもいいもの」という「自治をめぐる現実」に対して、「くにたちの会」の館野さんのことばは、とても印象的だった。

「これから高裁、最高裁で最終的に関口さんに40 万円を支払えという判決がでても、そして裁判費用も含めて、それはある意味で『市民自治のコスト』であり、前市長関口さんひとりが払うことではないと、私たちは考えています」。

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